新規更新。意思184「人間の感覚」完成。
新規更新。意思184「人間の感覚」2020年6月28日午後12時30分に完成しその後校正作業を経て22時12分に加筆修正版完成。今朝は8時07分に起床した。昨日の最終メールは結局午後15時10分に送信した3回目である。昨日その後バブアーという外套の手入れをしてから日本放送協会の雲霧仁左衛門をみて今回は特に手を抜いて制作しているなと思いながら今度はユーチューブなどを見つつ携帯電話やアプリのセッティングなどをしていた。そして日付が変わり今朝も朝っぱらからテレビを見て苛立っていた。メディアの人間は思い上がっている。人の顔を踏み唾を吐き調子に乗っている鼻っ柱をへし折られる日がやってくるとも気付かずに。またもや偏向報道と嘘を展開している。温暖化の話題。人間が自然をコントロール出来ると本気で思っている口ぶり。こんなにも馬鹿なんだとあらためて気付かされた。無宗教で誰とも主従関係には無い粕谷の中で絶対的な存在があるとすればそれは自然である。全てを超脱し絶対的に存在する自然。そこには人間の存在など全く加味されていない。折に触れ人間は勝手に自然の営みを擬人的に表現する。しかし自然というものは意思を持たず科学的・物理的な法則でその営みが継続しているだけである。また現在多くの天体が存在する理由はかつて宇宙で物質と反物質の相対関係があり、その時にかろうじで物質が上回った為であるという学説を思い出した。我々も含め宇宙を構成する要素の一部として確かに存在している。宇宙全体は常に変動し続けているという。地球単体でも変化し続けている。さて、生命の起源がどうであれ地球と宇宙の物理的営みに人間やその他の生物が影響を及ぼす事はまず有り得ないと粕谷は考える。人間とはその程度の存在であることを自覚すべきである。地球が誕生した46億年前に遡り検証する事ができない為、地球の過去を正確な実態を誰も知り得ない。全ては推測の域を出ないのである。人間が地球上の2次元で考える現実的科学や物理学。この枠に収まらない矛盾に満ちた不思議な神話的出来事も宇宙では十分にあり得ると考える。無機質で冷たく暗い宇宙のただなかで人間という存在を考えたとき、何か狐にでもつままれた様な不思議さすら感じる。さて、地球温暖化の要因が果たして本当に人類が排出する二酸化炭素なのだろうかと粕谷の主観ではあるが疑問符を付けたくなる。自然科学的見地から地球規模での造山運動による様々なガスの排出量は人間の経済活動による二酸化炭素排出量など比較にならないほど多いと推察する。活火山の噴火や海底火山の熱水鉱床のチムニーから排出される硫化水素。これらのガス排出量を全て実測することは出来ない。海底にも海嶺や火山がいくつもある。深海についてはほとんど何も判っていない。未知数である。人間が排出する二酸化炭素に限定して比較しても自然が造山運動や地殻変動によって排出する二酸化炭素量の方が比較にならないほど多いと推察する。ゆえに粕谷が思うに人間が排出する二酸化炭素が全く影響を及ぼさないとは言わないがそれが温暖化の主要因になり得るとはとても思えない。地球誕生から繰り返されてきた周期的エネルギーの循環過程に現れる傾向に過ぎないと粕谷は推察する。それが自然でありその変化に適応出来る生物だけが生き残る。クマムシはかなり過酷な条件でも暫く生きていられるというが限度がある。結局極限状態で生き残る生物はいないと思われる。その経緯を逆算して考えれば地球の成り立ちはまさしく極限状態。高熱高圧状態が長く続いた経緯から生物など存在出来るはずがない。つまり地球外から何かがやってこなければ生物などは発生しないはずである。地球上に現存する生物は全て宇宙由来の物質に間違いはない。また自然の営みを見れば人間の存在は全く無に等しい。ノミやミジンコと人間は宇宙的には等しい。確かに存在している生命体という点で共通する。自然の中にただ存在する物質の一つである。どちらが重要とか貴重な存在であるとか美しい大自然とか様々な意味を付けているのは人間である。自然の営みは人間とは無関係で続くのである。温暖化という概念や表現も人間が勝手に付けたものである。根拠の乏しい理屈を並べ実証もせず自然科学とは無関係の政治的野心を満たす事を目的に含ませている為に科学的見地と乖離するのである。地球は周期的に氷河期を繰り返している。巨大隕石が衝突し大気も変化した。様々な出来事を経て今日に至る。地球にとって重要な大きく環境を変えるターニングポイントとして科学的に実証されている為信用に値する。そう判断出来るだけの証拠物や状況証拠がある。しかし人間の時間の感覚と天文学的数値が基本である宇宙とでは次元があまりにも異なる為、感覚にギャップが生じる。このギャップを人間が感覚的に埋めることは難しい。数万年に一度の周期で氷河期がくる。人間の平均寿命はせいぜい80年程度。1万年をベースに人の一生を見ればほんの一瞬という事になる。逆に人間の感覚をベースにして1万年分の変化のうちの一日分を見てもまるで変化を感じないであろう。これは一種の錯覚である。1万年かけてマイナス30度まで移行すると考えれば日々の変化はほとんど感じられない。温暖化も同じである。もっと言えば機械の歯車で組み込まれた精密機械の様に温度が変化するハズもなく大きな周期的傾向の中でも更に小さな起伏を繰り返しながら変化を繰り返していくと思われる。気温が変化した結果、例えば摂氏54度であっても零下30度であっても生物がそのまま生きていくことは難しい環境となる事は確実である。これが絶対的な自然の営みである。人間がひと工夫して生きながらえたとしても死に絶えたとしても、この循環は止められない。ましてや人間が二酸化炭素の排出量を減らしても地球上の寒暖の周期は絶対に続く。氷河期に二酸化炭素をバンバン放出すれば氷河期が収束するのか。するはずもないのである。温暖化の概念を科学以外の意味を含ませ犯罪利用を目論む者が存在する。自然の脅威を誇張してカルト犯罪組織が人々の恐怖を掻き立ててアオリ、温暖化阻止に重ね合わせて社会の構造を変化させることが狙いであると粕谷は推察する。そして社会の趨勢を変化させる過程でカルト犯罪組織が意図する目論見である社会構造を構築するための仕組みであるレールを敷設し優位性を担保する流れ。リストラクチャリングとリエンジニアリングを同時に並行してすすめる事でカルト犯罪組織主導の社会構造を構築していくのである。つまりカルト犯罪組織は何でも梃子に使う。社会が成熟しカルト犯罪組織との対立構造が鮮明になる度に戦争や天変地異に見せたテロを起こしデフレスパイラルに引きずり込んでカルト犯罪組織のペースになるまで何度でもリセットを目論むのである。現在のコロナ感染症もバイオテロリズムである。スペイン風邪がバイオテロリズムの走りである可能性が高いと粕谷は考える。カルト犯罪組織員は総じて怠け者である。自身が働かずに飯を喰う為には奴隷が必要となる。自分たちの糧になるうちは飼殺しにしつつ骨の髄までシャブリ尽くす。粕谷は言いたい。思い上がったカルト犯罪組織と言えども絶対的自然の前では無に等しいと言う事。この揺るがぬ事実。そして世界中の良民は卑怯なカルト犯罪組織の事態を確実に把握したと言う事。隠されたカルト犯罪組織の実像が寸分違わず全世界の良民に知れ渡った事は人類史上初めて迎える局面であること。遠からず人間社会にコペルニクス的転回が起こるであろう事。知らなかったから出来なかった事があるであろう事。知ったからにはやらねばならない事もある。これは人間社会が続く限り重要なこと。一方、人間社会とは全く関係なく宇宙のバランスの一部を担う地球が変化し生命が消滅する日も絶対にくる。それがいつなのかは誰にも判らないが確実である。限定的な人類の存在をどう考えるか。コーヒーでも飲みながら天文学的尺度で宇宙に思いを馳せるのもたまには良いかもしれない。極めて奇跡的限定的で特別な地球と自身の存在に気付くであろう。砂浜に行き砂をつまみ指先でこすりやっとみえた一粒。これが宇宙の中の地球。地平線まで続く砂浜を全て星と仮定しその粒全てに数万キロ一定の距離を置く。果てしない宇宙のイメージである。宇宙時間基軸では一瞬にもならない程の人間の一生。しかし虫の目で見れば気が遠くなるほど長い人間の生涯。時間とはなんとも不思議なものである。馬車道出版株式会社代表取締役社長粕谷直樹
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