新規で意思142「人を活かす社会へシフトせよ」完成。

新規で意思142「人を活かす社会へシフトせよ」2020年5月16日午前9時10分に完成。フェイスブックで先に作成した。子ども、若者を陶冶する為、大人が為すべきことがある。その一つがインターンシップ。企業が広く受け入れる事を共通認識にしたい。そして何度でも若者にはチャンスを与えるべきである。思うに、面接で判る事も多々あるが、見えない潜在的能力を誰しもが絶対にそなえている。重要なポイントを見逃している。企業は手っ取り早くハイスペックな人物を選択しようとするが、それとは別に広くインターンシップの受け入れを実施し、何度でもチャンスを与え、若者の努力を引き出し、ゆっくりと社会全体で仕事のスキルアップをしてもらう。つまり、若者を社会全体で大切に育む事である。私、こと粕谷直樹も転職を何度か重ね、経験からその様に思う。新卒入社と中途では扱いも違う。これらは企業で働く者たちの成熟度を占う目安にもなる。面接の訓練のエキスパートなど、なんだか滑稽である。若者がそんな風にならない様に。人生は長い。その中で様々な紆余曲折がある。何度でもやり直し、やりたい仕事に挑戦する機会を社会全体が用意する。そこで何度もトライするうちに、人として大切な、何かに気付き、スキルも身に着け、「働ける者」となっているであろう。入社後に行われるジョブ・トレーニングをする事と同じである。それよりもっと効果的に広い視野で物事を俯瞰する能力が身につく。一発で入社試験に合格しなければ、「今回は残念ながらご縁がなかったということで。」と切って捨てる。またそんなに人を評価する程立派な経営人は極めて少ない。取締役など名ばかりで、実力が伴わない全くいい加減なものも多い。会社は代表の所有物ではない。そこで共に働く社員はパートナーである。人を評価出来る言動を実行しているか否かを客観視し実践できている経営者は少ない気がする。また誰しもが新人の時を忘れがちである。思い出すと良い。恥ずかしい事が沢山あったであろう。右も左も判らずに。やる気と全く根拠がないのに自身満々。ゆえに空回りしていることにもしばらく気付かず。認められたい、評価されたいとばかり思う。人に頼らなければ何も出来ない事を認識できず、教えていただく事を当たり前と考える。若かりし頃の私である。これは誰しもがそうなのである。ただそのこっ恥ずかしい過程を経て学び現在に至るのである。新人を見て愛らしいく自身を思いだせる人は健全であろう。自身が苦労した事や強く感じた事を後進に教えてあげたいと思えるはずである。仕事の向き不向はあると思う。しかしその仕事をやる前から向き不向を決めてかかるべきではない。やってみなければ判らない事が多い。未知の可能性を広げ人を活かす社会のシステムを構築する事は国家全体にとって有意義である。会社代表とその主観によって配置された人事が極めてバランスの良い妥当性を備えている場合、自社に最適な人材を選ぶことは出来るであろう。ただ、粕谷が言いたいのは、人は無限の可能性を秘めているという事。それを長い人生の中で開花する事が出来るかどうか。折角だから皆がそのチャンスを掴み能力を開花させることができるように、何度でも希望する仕事にトライできるように企業が入口を広く開け簡単に仕事を習うことが出来る様受け入れる事。簡単にアプローチ出来る機会を設け、実際に直ぐに働いてもらう事。その状態で大切な事を学び自らを修正すべきは修正しながら必要なことを習得し立派な社会人になっていく。その頃には、揺るぎない何かを其々がしっかりと携え、迷い無く進むべき道を進んでいることだろう。若者はこの国の未来を背負っている。若者の為にどれ程大人が懸命に陶冶しているかを見ているのである。そこで百の講釈を垂れ流すよりも、目に見える形で、エビデンスとして実行することが尊い事を粕谷が提言する。物事から逃げ無策な大人を子どもが見れば、意欲を失う。大人の背中を見て若者は学ぶ。良くも悪くも。大人にはその責任がある事を忘れるな。命を繋いでいく事とはそういう事である。利己主義は悪である。昭和のベビーブームに粕谷が提言している事が出来ていれば現在この様にはなっていない。国民が真剣に社会の在り方を考え、後進の事を考え若者を陶冶する事が当たり前である。甘やかすとは言っていない。大人がやらねばなら事を放棄するなと言っているのだ。都合の悪い事をまずしない事。都合の悪いことから逃げない事。大人が、実践できている事。毎日自問自答すべきである。粕谷は自身が実践している事しか言わない。それが品格だと思っている。〜馬車道出版株式会社代表取締役社長粕谷直樹〜

馬車道出版株式会社代表取締役社長粕谷直樹

モノ言えぬ人々を直接間接的に代弁する。そんなサイトにしたい。 馬車道出版株式会社 代表取締役社長 粕谷直樹。