イジメという言葉の誤り。
何でも言葉をつくればよいというものではない。
イジメの内容は刑法の構成要件該当性を満たす。
つまり暴行罪や致傷罪に該当する。
少なくとも公序良俗違反である。
何れも許されない。
イジメという言葉には犯罪という認識を緩和する効果がある。
卑劣な行為を誤魔化すための一工夫といったところか。
粕谷をごまかすことは出来ない。
覚えておくとよい。
さて、何故イジメが横行するのか。
これは非常に重要な問題である。
思うに大人の事情がそのまま子どもに降りてきた状態。
カルト犯罪組織が大手を振って闊歩している。
警察が絶対に捕まえない犯罪組織である。
その子どもが親から洗脳され少なからず影響を受け他の健全な子どもを侵害している。
カルト犯罪組織の中枢は公務員。
その組織が後ろ盾となっている事を教師は知っている。
生徒による問題行動やモンスターペアレンツなどはまさしくその可能性が高い。
正常な教師がこれらの対象に注意をすれば早晩カルト犯罪組織が干す。
干された教師は全く覚えのないクレームや悪い批評や噂を流される。
カルト犯罪組織員である事を伏せた教育委員会や日教組の職員が更に追い打ちをかける。
そして教員免許更新が出来なくなるように仕向ける。
これを繰り返すうちに正義感の強い心の美しい凛とした教師は逓減の一途を辿る。
このように、所謂「いい人」だけではやっていけない理由がある。
互いに守りあい、闘うことから逃げてはならないのである。
それが「生きている」ということ。
机を並べともに立派な仕事をしていた同僚。
その立派な職員が一方的にいわれのない言いがかりをつけられ上からの丸め込まれている。
そんな風景を見たことはないか?
その理不尽を見過せばどうなる?
そう、判断すべき時はその時だったのである。
粕谷が学生時代は本当に素晴らしい先生に恵まれた。
現在は全く違うと思われる。
皆腰が引けて逃げれば子ども達は守られない。
何の為の教師か。何の為の警察か。何の為の医者か。何の為のメディアか。
子どもを守らないならば生むな。
自分に子どもがいなくても守れ。
誰かに言われるまでもなく。
闘うべき時に闘え。
それが粕谷が考える「生きている」ということ。
いじめられている人は犯罪被害者。恥ずかしい事は一つもない。粕谷に言いに来い。絶対に守って見せる。
~馬車道出版株式会社代表粕谷直樹~
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