新規で意思138「教育論」完成。

新規で意思138「教育論」編纂。2020年5月14日新規でフェイスブックで完成した。先取り拡散ナリスマシ犯を暴くため、制作過程をアメブロとアメーバオウンドで途中何度か示しながら午後12時19分に完成に至った。先にフェイスブックでアップする。以下の通りである。粕谷より。教育は非常に重要である。犯罪を抑止したいのであれば尚更である。人はこの世に生まれてから、出逢った人から少なからず影響を受けながら人格を形成していく。どんな事に価値を見出し、何を尊いと思うのか。これらのバランスが人格形成に良くも悪くも影響する事は確かである。その点において家庭環境は大きな意味を持つ。家庭環境はそれぞれ異なるものである。期せずしてバランスを欠いてしまっている家庭もある。それを補う重要な役割を学校は担っている。しかしその重要な人格形成のメソッドが未だに確立されていないと粕谷は推察する。教師の偶発的な素質に依存しているのが実状。先生によっては自身の豊富な人生経験を活かし素晴らしい教育を実践している。またある教師はそうではない。生徒に運と不運によってリスクを負わせる事になる。運の良い生徒は立派な大人になり豊かな人生を歩む機会に恵まれる事を予測できるがその逆も有り得るという事。そんな事があって良い筈もない。生徒本位の教育を実践すべきであると粕谷は考え「教育論」として粕谷独自の見解を述べる事にした。さて、家庭環境によって子どもの発達、成熟度合が異なると既述した。生徒個人の個性を活かしながら、絶対に一人も見放さない事が重要である。こどもは良く大人を試す。皆記憶にあるであろう。自分がどれだけ愛されているかを試すのである。大人はそのこどもによる愛されているかどうかの度重なるテストに答える必要があるのだ。これは粕谷が着目する最も基本的で重要視すべき子供の意思表示である。得てしてこどもが起こす問題行動は殆ど全て「どの程度愛されているかのテスト」なのである。だから大人はまずそれを受け止め優しく包み込む必要がある。偽りの作業的義務的対応では全くナンセンス。演技で実践するものではないと粕谷が強調しておく。だからここが教師としての素養があるか否かの分岐点である。無理をして業務的に作業として演じても生徒はそれを見抜くであろう。ケジメを持ちながらも、こどもに対する本当の愛情がなければ本来勤まらない。それが教師というものである。覚えておくと良い。乳幼児が親の見ているそばでモノを落としたり投げたりするのは、その行動に対する親のリアクションを期待し、自身を見てくれている事を実感する為の「テスト」である。行動を起こす度にこどもは愛情を確認し安心して満足するのである。他方ペットも部分的に似た行動原理を包含する。パートナーとして認識した飼い主からの愛情を全部注いで欲しいがゆえに、最も反応してくれる事を良くも悪くもするのである。だから問題行動に対して間違った反応を出すと、それを続けるようになってしまう。この場合飼い主が無意識であるためペットに対してストレスを抱える事になる。飼い主の行動に問題があることは言うまでもない。勿論、ペットとこどもが違うのは言うまでもないが、こどもの心理とペットの心理には共通点があるという事。さて、話を戻すがこどもは常に愛情を求め、その表現も多岐にわたるという事。具体的には、学校で不良と認識されているこどもの心理を紐解けば、「遅れをとったことへの焦燥感」である。それをうまく表現出来ないのである。授業を妨害し注目を浴びる行為は「自分をおいて先に進むな」というサインであろう。粕谷は幸い人の気持ちが良くわかる。不良は突っ張っている手前、死んでもお願いは出来ないのである。粕谷が中学校在学時の担任が見事にその心理を捉え適正に対処していた事を昨日の事の様に覚えている。放課後、面倒見の良い生徒と一緒に授業の復習を実践したのである。するとその生徒は信頼されている事を感じとり変わった。これは先生に真の愛情があった事を意味している。こどもの悪い部分を探すのではなく良い部分を引き出すために、問題行動を優しく包み込み愛情を先に示し続けたのである。粕谷は現在でもその偽りのない先生の姿勢を誇らしく思っている。尊敬している。人に期待されて嫌がるものはいない。それはその相手に対するリスペクトからである。互いにリスペクトする関係こそ尊い。粕谷はその様に思うのである。人との良い関係を保つ努力ができ、人を尊重しながら自身も大切にする事。自身を大切にするというのは間違った事をしない事。自分が知っている自分に嘘をつかない事である。それを常に実践し、社会を構成する一員として誤魔化しなく毅然と生きる事。その揺るぎない生き方が健全な精神衛生を保つことになるという事。健全な精神は健全な身体の基礎となるであろう事。そして社会に貢献しその法定果実を得て生きていくという事。この本質を捉えた道を粕谷は良民の方々と共有し子どもたちに示したい。人の気持ちが判る大人に。それが人間社会の全てに通づる事を知って欲しい。国境を遥かに超える重要な本質である事を。粕谷の言葉で伝えておく。人真似ではなく、自身の言葉で伝えられる事は重要である。こども達に自分の背中を見ろと言える生き方をすべきと考え実践してきた。さて、この国の現状を踏まえ、これからの学校のあり方を述べる。教育はこどもに例外なく大切な事を実感してもらい、家庭環境によらず立派な大人になってもらう。粕谷はこれを命題とし共有したい。それを達成する為の環境を整える必要がある。費用対効果を念頭に粕谷はいつも考える。粕谷は一人も置いてきぼりにはしない教育が必要と考える。イジメと言う名の犯罪が発生したら学校と教師が完全に対処するのは当たり前。その手続きもシステマティックに共有していない現状から分析をした。イジメとは犯罪である。その被害者である生徒を全員直ちに救済する為、手厚く様々な対応をする。具体的には以下の通り。学校と教師は精神的にも多感な発達途中の生徒に惜しみなく愛情を注ぎ、安心させて心の安定を担保する義務がある。よって不登校の生徒も原因に依らず全てキャッチアップする機会を何度でも与える教育機関の体制を構築する。まず全国の自治体で使用する教科書は統一する。生徒がどこでも同じ教材で授業を受けられるように基準を定める。また教科教育に関し、ネットでも各教科の授業を並行して配信する。その際、教え方の特に優れた教師をネット授業専門に雇用し生徒の習熟度を向上させ継続を促進する。板書も一切必要がなく要領を得た復習用の解説も添付する。生徒が復習しやすい環境を徹底して構築する。また実技を伴う体育や美術、音楽などは卒業の必要単位としないこと。教材としては映像や音楽鑑賞、美術鑑賞に特化した見識を豊かに広げる内容に特化した教材を編纂。あくまでネットでの授業を全ての子どもに公平性を持たせながら実に効果的なものとして構成する。これは小中高を対象に想定したものである。そしてネット授業の教壇に立つのは教科ごとに、教えることのプロを雇用し生徒の習熟度を上げていく。またネットの環境が整っていない生徒には、申込だけでオールインワンで受講出来るシステムを構築する。生徒の家庭環境や収入の影響を一切受けず、申込手続きだけで直ぐに利用出来る様に一貫したオペレーションを確立し即時対応出来るシステムを構築する。パソコンを所有出来ない生徒には財源を担保し完全貸与。カバー率100パーセントを目指す。基本的な操作方法をナビゲーション。フローチャートで設定を簡易に。操作向上を図る。さて、インフラが整備できれば一般の通学している全生徒もネット授業を受けられる。何度も復習し理解していない部分を何度でも集中して学習させる事が出来る。塾に通わせる余裕の無い家庭のこどもの学習意欲も損なわない。全体の学力が向上する事は間違いない。落とすための教育であってはならない。愛情を大人がいつも示しこども守り社会全体で育むのである。また医師や法律家の養成も同じ。権力者の意向に沿ったフルイにかける選別をしてはならない。広く学ぶ機会を与え、その成果を計る試験があれば良い。一定の基準に達すれば合格としその後も研修を通して専門知識を習得すれば良い。大学の授業料は国費で賄うべきである。高い授業料や大学院進学などの障壁が学ぶ機会を根底から奪っている。結果として才能があるにも関わらずはじめから諦めさせてしまう要因になっている。それはこの国にとって間違いなく損失である。システム一つで雲泥の差が生じる。本質がどこにあるのか。国民共通の課題である。〜馬車道出版株式会社代表取締役社長粕谷直樹〜

馬車道出版株式会社代表取締役社長粕谷直樹

モノ言えぬ人々を直接間接的に代弁する。そんなサイトにしたい。 馬車道出版株式会社 代表取締役社長 粕谷直樹。